おばぁちゃんとの思い出

私が生まれる前に、父方の祖母以外の祖父母は亡くなっていました。
またその祖母も、今から2年ほど前に亡くなりました。

祖母は以前、叔父の家族と同居していましたが、叔父の離婚を機に、私の家族と同居することとなりました。
たまにしか会うことが出来なかった祖母が、これからは毎日家にいるということがとても嬉しかったです。

すでに80歳を超える高齢の祖母でしたが、自転車を乗りこなし、1人でどこか買い物に行ったり、友人の家に遊びに行ったりしていました。
しかし、たまに転んだと言って怪我をして帰ってくることがあり、父がいつも怒っていた記憶があります。
また、パートに出ていた母の代わりに、祖母が夕食の支度をしてくれていました。
美味しいと言うと、しばらくそのメニューが続いたこともあり、今でも家族の笑い話の一つです。
祖母はいつも優しく、私の好きなお菓子を買ってきてくれたり、一緒に出掛けたら好きなものを買ってくれたりしました。
また学校での出来事なども、一生懸命うんうんと聞いてくれました。
祖母が体調を崩したのは、私が社会人になって1年目の夏でした。
急に何も見えないと言い、そのまま倒れたそうです。
脳梗塞でした。
幸い一命は取り留め、病院に入院することになりました。
私も仕事の休みの日には、積極的に病院に足を運びました。
病院に入院する祖母を見て、こんなに小さかったっけ、と何度も思いました。
病状も回復し、退院となったのですが、車いすでの生活となった祖母を自宅では介護することが出来ず、近くの施設に入居することになりました。
施設にもなるべく通うようにしましたが、祖母は家に帰りたいと言っていました。
施設に入居して2か月ほど経った頃、お正月ということもあり、外出が許可されました。
祖母は久しぶりに家族との時間を過ごしました。
私は仕事があり、祖母と過ごすことが出来なかったのですが、祖母はすでに社会人の私にもお年玉を用意してくれていました。
次の休みには祖母の所へ行き、お礼を言いに行こうと思っていた私ですが、祖母は外出した2日後に亡くなりました。
仕事を早退して、病院に駆け付けた時には、すでに祖母は息を引き取っていました。
私は大泣きしました。
お葬式を済ましてからも、1人になると泣き出してしまう日が続きました。
それから大分時間も経ち、ようやく元気になれた私ですが、祖母の使っていた部屋などを見ると、未だに涙が出そうになります。
今の私があるのは、まぎれもなく祖母のおかげです。
あまりめそめそ泣いていたら、祖母も悲しむと思うので、祖母はずっと天国から見守ってくれていると信じ、これからも頑張っていこうと思います。

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