恥ずかしい話ですが、以前は簡単な漢字も思い出せないことが多かったんです。
読めても、書けない。
文章を作成する際はパソコンを使用することが多いので、文字を手で書くということが減ってしまったんですよね。
このままではマズいと思い、一念発起して漢字検定に挑戦してみました。
漢検は級がいくつか分れていて、何級を受けるか悩んだのですが、2級が高校卒業レベルということだったので、2級に挑戦してみました。
漢字検定の公式テキストは、確か3種類くらいあったような気がします。
1冊1000円以上するのですが、中古でも構わないということで、古本屋で1冊100円でゲット♪
空き時間を見つけて早速取り組んでみました。
初めてテキストの問題を解いた時は、思っていた以上に解けず、これで間に合うのかなと不安でした(勉強を始めたのは本番の2週間前)。
ですが、解けなかった問題に印を付けておいて、そこを重点的に復習したら、二度目からは最初に分からなかった問題もするすると解けるようになり、三度目はほぼ全問正解でした。
漢字の勉強の面白いところは、全く知らない言葉ではないということです。
外国語とは異なり、日常的に接しているからだと思うのですが、覚えるのが早くて、勉強も楽しかったです。
おかげさまで、無事に2級も受かることが出来ました。
次は何の検定に挑戦しようか悩み中です。
漢検の準一級を受験することも考えたのですが、違う種類の検定に受けたいという気持ちの方が強いです。
パソコン検定も役立ちそうですよね。TOEICなんかも受け直してみたいなと思います。
ありふれた苗字
私の苗字は実に平凡で、どこにでもある。
絶対にクラスに同じ苗字の子がいて、名前カードに書かれた苗字のうしろには、かっこで自分の名前の頭の一文字がひらがなで書かれていたりした。
そんな経験は、よくある苗字の人なら誰でも一度は味わったことがあるだろう。
それが私の場合は顕著で、また下の名前とセットでありふれているから、小学校に上がってクラス編成をされたとき、同姓同名の子とクラスを取り違えられたりした。
そんなわけなので、私は珍しい苗字というものに憧れをもっていた。
女のほうが結婚して苗字がかわる可能性は高い訳で、自分も将来珍しい苗字になれるかもしれない、と期待したものである。
そしたら電話なんかでもその苗字を言える。
それで、相手の人に、失礼ですがどんな漢字ですか、と言われて、これこれの漢字です、なんてやりとりをするのだ。
名前の判子ももしかしたら特注かもしれない。
いざという時100円ショップで買えないかもしれないな、などとほくそ笑んだりした。
ところが、姉が嫁いでしまって、考えが変わってしまった。
我が家の子供は、私と姉のたった二人で、現在私がこの家の末裔である。
そうなると急に、こんな平凡な苗字でも捨てるのが惜しくなってきた。
もし時代が時代であれば、私が嫁に行って苗字が変わってしまったら、お家断絶ということになってしまうのである。
親からはそんなことは気にするなと言われてはいるものの、今までの我が家なりの歴史を鑑みると何とも後ろ髪を引かれる思いである。
とはいうものの、嫁に行く予定もない今、そんなことを公言すると、負け惜しみと取られかねないので黙っておく。
中学校へ行ったら運動部
「お母ちゃん、私中学校へ行ったら運動部に絶対に入らなくちゃだめ?」
そんなことを子供が訊いてきた。
可愛そうに、姑からの圧力で子供は苦手な運動から逃れられなくなってる。
「そんなことはないよ。クラブは好きなものを選べばよいよ。運動でも良いし絵を描いても良いんだし音楽だっていい。」
私は当然そんな風に答えた。
子供は安心したようである。
この時ばかりは、少々姑に腹が立った。
私の子供は、確かに運動は得意ではないけど他のことはそれなりの結果を出している。
物凄い集中力と持続力で頑張っている。
そこを見て評価してやってもいいじゃないか。
どうしてわざわざ苦手なことを指さして否定するのか私にはさっぱり分からなかった。
でも、姑の気持ちも分からないでもない。
姑はたくさんの姉弟がいて孫自慢している。
スポーツが得意な子も多く、きっとそれで私の子供にも運動部に入るように言ってきたのだろう。
でも、それは、子供にとってかなりのストレス。
滅多に相談などしない子供が、おどおどしながら私に話した。
中学校は、そうでなくても色んな意味で大変なところだ。
たった3年間ではあるが、きっとこれからたくさんの壁が待ち構えていることだろう。
その上、余計なストレスは邪魔だ。
楽しいと思って通学して欲しい。
私の願いはそれだけだ。
親子で参加できるスポーツ合宿のお知らせが学校から来た。
私も強くなりたいと思っていたところ。
思い切って子供と一緒に参加してみようか?
何かが変わるかもしれない。
もちろん変わらないかもしれない。
ただ、運動が怖いものではないと思えるようになりたい。